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たいがー

2010年当時で38歳。大阪を拠点とし定職はなく、ナマちゃんで生活してることを自ら公言していた。配信は主にレトロゲームで、SFCのゲームを好んでプレーしていた。配信中のトークは下ネタが多く、時にはキ◯タマの痛みを訴え、配信中に病院へ電凸し、「あのー、キ◯タマが痛いんですけど」と症状を訴えることもした。よくおかきを食べながら配信している。

最初はリスナーとのやりとりも軽快で好調な配信デビューを切ったが、そのリスナーの恩恵に慢心し、徐々にリスナーに暴言を吐いたり顎で使うような所作が見られるようになった。

これに対しリスナー側も小さな違和感から徐々に不満を膨らましていった。そのストレスはたいがーがFF5の縛りプレイで自ら縛りルールを破ったタイミングで爆発した。





他者トラブルについて


上述のFF5事件にて、たいがーが自らの縛りルールをやぶったことと、リスナーの日頃のストレスのピークが重なり、縛りに対する非難でコメ欄が荒れ、収集がつかなくなる事態になった。これに対し、たいがーとリスナー達との間に、たいがーと付き合いのある配信者達(テリー、バクステ、ディエンド、みぃ太)が仲裁に入り事実確認を行っていたが、たいがーは「俺は絶対悪くない、謝る気はない」と固持するため議論は平行線となる。

Skypeで行われたこの裁判が一度閉廷し、結論が出ないまま数日過ぎた頃、この仲裁人だったディエンドの配信に名無しの荒らしが頻出するようになり、もうひとりの仲裁人テリーのなりすましとなる「テりー」という緑コテが現れ他配信を荒らしたり、なりすまし配信を行ったりした。これに対し前出の仲裁人達がその諸悪の主をたいがーであると確信し本人を問い詰めたところ、誘導尋問にひっかかりたいがーはこれを白状。為す術もなくなったたいがーは仲裁人達に捨て台詞を吐き、らいつべから退散した。

らいつべ退散の後はニコ生に移り「Mix」という名前で配信していた。

この一連の騒動の中から、実害を被ったテリーを養護する世論が高まり、界隈では一時期「テリーに謝れ」が流行語となった。ニコ生に移ったあとも時折「テリーに謝れ」というコメントが見られることもあった。


その後


2011年夏頃にはニコ生でも所在確認ができなくなり、配信者としては短命なほうだったのではないかと言われる。

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